過去問・赤本

2011年04月19日

明治大文学部の難問

今年はワセヨビの現役生の中にスゴイ人が何人かいるようです。早い時期から受験に対して厳しい気持ちで取り組んでいる人たちです。今日はその一人であるH君からの質問メールを紹介します。彼はライブ授業ではなく、DVDで通年授業を受講している生徒ですが、二度あった体験授業にライブで参加していたので、積極的な姿勢はよく覚えています。

<Hさん>
夜分遅くにすみません。ズームDVDでお世話になっておりますHと申します。推古朝においての太子の政策について疑問点が生じたので、お時間がありましたらご返答下さい。明治大学文学部の正誤問題で“憲法十七条は蘇我氏との協力のもと作成された”とあり、自分は、“聖徳太子や推古天皇<当時の蘇我氏の権威”をもとに、誤としました。しかし解説は正となってました。
太子は蘇我氏には逆らえない状況下にあっても、中央集権国家を確立させたいという望みから、蘇我氏の専横的な政治の取り方には疑念を抱いていたのでしょうか?お忙しいところすみませんが、よろしくお願いいたします。

<石黒>
それは2000年の明治大文学部の問題でしょうか?

<Hさん>
説明が少なく、申し訳ありません。すみません、しかし問題集なので年度が書いていませんでした。

<石黒>
問題はこんなのでしたでしょうか?
下線部(編注:603年には冠位十二階制,604年には憲法十七条が制定された)に関連して述べた文として,正しいものを一つ選べ。
(1)両者とも,厩戸皇子と蘇我氏が協力した。
(2)両者とも,厩戸皇子が単独で実行した。
(3)蘇我氏は,冠位十二階の位階を授与された。
(4)憲法十七条は,厩戸皇子が単独で立案した。

<Hさん>
その問題で合っております。それで私は(1)を選択してしまいました。

<石黒>
これは大変難しい問題でした。正解は(4)です。他の政策が蘇我馬子との協力で行われたのに対して、憲法十七条については厩戸皇子が単独で作ったようです。実はその後、2005年の△△大◇◇学部でも同じ正誤問題が出されており(後略)

<Hさん>
質問にお付き合いしていただきありがとうございます。それとまことに有益な情報をありがとうございます。(中略)本当にありがとうございました。気候の変わり目ですのでお体に気を付けてお過ごしください。



4月の段階でこうした質問をしてくるとはなかなかですね。これからもこうしたハイレベルな正誤問題を「考えて解く」ことを続けていってもらいたいものです。

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2011年03月17日

リード文が活用できる大学はどこ?

2週連続で授業が休講となってしまいましたが、
かといってのんびり休暇を楽しむなんて気持ちにもなれず、
複雑な心境の毎日です。

今年はワセヨビ西船校で、現役生向けに、
2度にわたる体験授業がありました。
そのどちらにも参加してくださったHさんから質問をいただきました。
まだ通年授業が始まっていない段階にもかかわらず、
これほどの探求心とは驚きです。

<Hさん>
今年度、ワセヨビ稲毛海岸校で石黒先生の日本史を受けさせて頂く、Hと申します。体験授業では、受験の現実を感じることができ、感謝の気持ちで一杯です。今回、先生にご質問がありメールしました。返信していただければ幸いです。時期尚早かとは思いますが、赤本のことについてお聞きしたいです。先生が何千という入試問題を解いてきて、そのリード文などから学べることもあると述べていたことを、いつかのブログで拝見しました。そこでお聞きしたいですのですが、正誤問題などに活用できるリード文が多い入試問題を出す大学には何大があるのでしょうか?史実を間違って理解している教授もいるらしく、全てを鵜呑みにしても本末転倒なのでは、と心配になりました。そしてこれは今の時期だからお聞きできることですが、先生のかの40面ノートの作成にはどのくらいの月日を費やしたのですか?なんか、先生のブログを毎日見たり、先生の教材で勉強していると、先生にも興味が沸いてきてしまいました(笑)然るべきことですね。お忙しいところ、長文失礼しました。初講日を楽しみにしています!

<石黒>
まず最初に、地震のせいで、
ズームインDVDの第1講の配信が延期になりました。
ワセヨビ東京校での授業を撮影したものが各校舎に送られるためです。
しばらくお待ちください。

さて、過去問のリード文についてですが、基本的に問題集を解くときは、
どれであってもリード文は、
「ふむふむ」とうなずきながら読むと良いでしょう。
学習院大の問題には読みやすいリード文が多く、
ある意味楽しめるかもしれません。
しかし、何よりも自分が受験する大学の問題を解くべきです。
それなら「全てを鵜呑みにしても本末転倒」
という危惧も気にしなくてすみますから。
まだ確定していないというなら、
受けそうな大学ということで選んでみてください。
ワセヨビには古い赤本もあるので、
解く問題がなくなることはありません。
しかし、ここで根本的な注意があります。
リード文を読むことで役立つのは、
正誤問題を解くためではないってことです。
歴史の理解を深めるのに役立つのです。
正誤問題を解くのに直結するのは、リード文より正誤問題そのものです。

最後に40面ノートの作成にかかった期間ですが、
始まりと終わりがあいまいで何とも言えません。
だいたいの形を作るのにかかったのは1年間ですが、
その前から徐々にできていましたし、現在も改訂していますから、
全部あわせれば20年間ってことになってしまいます。
もっともそれを言うなら、入試問題のデータ入力の方が、
何百倍もの時間がかかっています。
そのデータ分析があってこそノートが作れるわけですから、
やっぱり20年間と答えるべきでしょうね。

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2011年02月03日

早稲田の過去問から(5)

江戸時代の大槻玄沢の私塾・芝蘭堂では、
太陽暦で正月(オランダ正月)を祝っていたというのに、
当方は未だに太陰太陽暦でお正月をやっています。
いや、例年、旧正月に年賀状を出すことにしているので、
今ごろ年賀状を書いているというわけです。
申しわけないとは思っています……。

さて、もうだいぶ前のことですが、
早稲田大の過去問について質問メールをいただいていました。

<Tさん>
こんばんは。過去問の質問です。早稲田商学部の大問2のI「清盛の人物は源氏長者、淳和・奨学両院別当となった1383年に何に宣下されたか。」答えは准三后なんですけど赤本の答え読んでも納得できませんでした。解き方を教えてもらってもいいですか?


これは2000年早稲田大商学部の問題なんですが、
どうも彼女は問題を読み違えていたようです。
実際の問題は、史料問題でこうなっていました。
問 下線ト(編注:史料文中の「義満」をさす)の人物は源氏長者,淳和・奨学両院別当となった1383年に何に宣下されたか。
 1.征夷大将軍  2.准三后  3.太政大臣
 4.左大臣    5.参議

<石黒>
問題を間違ってますよね?
下線は足利義満をさすので、
1383年なら、将軍でもないし、太政大臣でもないと絞り込めます。
そのうえで明への文書に「日本准三后某」と書いたことを思い出せば、
順当に准三后を選べるのではないでしょうか。(後略)



とんだ勘違いですが、ハーフサイズ模試を採点していても、
意外と勘違い解答な人はいます。
さすがに、正誤問題で誤文選びと正文選びを間違えた人は、
いなかったと思いますが、
人名を答えるべき問題で、事件名を答えている人はいました。
落ち着いて問題を解かないと、なかなかノーミスにはなりません。
「知ってたのに正解できなかった」という失敗は避けたいですよね?

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2011年01月12日

方形周溝墓は環濠集落の内部につくられたか?

立命館大は考古学の出題が大変多い大学です。
他にも特徴があるので、僕がもし関西方面で講義を担当していたら、
同志社大ともあわせて『あるあるチェック』を作りたい大学です。
さて、その立命館大らしさの漂う正誤問題の質問を受けました。

<Uさん>
こんばんは。赤本を解いてて疑問に思ったことを質問させて下さい。立命館の2010年2月1日の問dについてですが、その問題が、
弥生時代の環濠集落を説明した文章として、適当でないものを答えよ。
あ.内部には地位の高い人も低い人もいっしょに住んでいた
い.内部には方形周溝墓が造られた
う.内部には青銅器を作る工房をもつものもあった
え.内部には神殿と考えられるような大型建物をもつものもあった
で赤本の解答は い なんですが、僕はこの時期から身分差が出てきたであろうから あ だと考えてしまいました…。(中略)池上遺跡は近所にあってよくわかっているので い は省いてしまいました。赤本の解答はやはり い であってるのでしょうか?よろしくお願いします。
後お尋ねしたいのは内閣は第○次って指定なくても書かないとだめなんでしょうか?赤本は指定なくても全て書いてありました。携帯で打ったので読みづらいかもしれませんが、よろしくお願いします。

<石黒>
ネットで調べてみたかぎりでは、池上曽根遺跡でも、
方形周溝墓は環濠の「外側」にあるように見えるのですが、
違うのでしょうか。
方形周溝墓は結構大きなものなので、
環濠の外側に作ることが一般的です。
また、弥生時代からは身分差が発生しますが、
奴隷身分だと環濠の外に住まわされたということではありません。
この問題は想像力で解くしかないと思います。

それから「内閣」が問われたときには、
必ず第何次かを付けてください
(一度しか首相をつとめていない場合には付きません)。
時期が問われているのですから付けるのが当然です。
逆に「誰が」行った施策なのかを問いたい時には、
単に「首相の名をしるせ」と出題するものです。

<Uさん>
(前略)そしていっしょに住むかどうかですが僕はいっしょの家に住んでいるかどうかと思ってしまいました。なるほど広義的に捉えないとだめですね。内閣の件ありがとうございますそのようにします。(後略)



この、第○次とつけなきゃいけないか否かという質問は、
よくある質問ですが、受験日本史では、
「時期」を見定めて問題を解くことが多いことを知っていたら、
首相の名前だけ言えればいいわけじゃないことがわかるかと思います。
ふつうにストーリーをたどって楽しむだけの大河ドラマと、
日本の歴史全体をつかもうとする高校教育の日本史は別物です。

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2010年10月19日

早稲田の過去問から(4)

引っ越し先のマンションは、陽の当たるベランダがあるので、
ようやく堂々とベランダ菜園ができるようになりました。
今までは、マンションの階段や踊り場で、
肩身を狭くしながらやっていたのです。
そして、原稿などで忙しいにもかかわらず、
10月蒔きのものだけは、無理して種蒔きしてしまいました。
基本的に植物も出版物も受験生も、
「育つ・実る」系のものが好きです。

さて、今日も一つ早稲田の過去問を紹介します。
2009年早稲田大文学部の問題です。

問 4代将軍家綱の治世に関する記述として,間違っているもの1つを選び,該当する記号をマークしなさい。
ア 宗門改めの制度が広く実施されるようになった。
イ 由井正雪らの幕府転覆計画事件が発覚した。
ウ キリスト教の禁止は続行した。
エ オランダ商館長が海外情報を幕府に提出した。
オ 日本史の通史『本朝通鑑』が完成した。

<Tさん>
河合塾藤沢現役館のTです。土日でたくさん過去問解いてます。40面ノートはほんとに素晴らしいです。えっと、本題ですが2009年早稲田文学部の〔4〕の問3の問題で(中略)ア、イ、ウ、エは消去できると思いオにしました。赤本の解答を見たら正解はイで3代将軍徳川家光の死後まもなく発生し後に家綱が4代将軍となったとありました。でもノートは家綱の欄に入っているので間違いないと思い辞書で調べたら家綱の時代でした。やはり赤本は間違っているということでしょうか?授業中に喋っていたらすみません。引っ越しが落ち着いたらでいいので教えて下さい。

<石黒>
これは各予備校の解答が割れた問題です。
僕も derutoko.com を見てもらえばわかるとおり、
解答はイとしています。
3代将軍家光が死去したのが1651年の4月で、
4代将軍家綱が将軍宣下をうけたのが8月です。
由井正雪の乱がおこったのは、
そのすき間にあたる1651年の7月なのです。
ふつうはこれを4代将軍の時代のできごととして出題するので、
ノート上では4代将軍の枠の中に書いています。
しかしこの問題の場合、他の選択肢が正文と考えられるため、
作問者が4代将軍の治世を厳密に区切っているのだろうと判断しました。
ちなみに代ゼミは解答をア、駿台はエまたはア、
旺文社はエとしています。
何かしらの根拠があるのでしょうが、
僕としては作問者も想定しているため、イ以外は正文と考えます。
(後略)

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2010年10月13日

早稲田の過去問から(3)

今日は、ある校舎で現役生から直接受けた質問を紹介します。
まず、問題そのものを解いてみてください。
史料は省略しますが、いわゆる「蒙古牒状」といわれる、
1268年に高麗使によって届けられたフビライの国書です。

2007年早稲田大学教育学部
問 史料(1)に関して,正しいものをすべてあげよ。
ア 日親が『立正治国論』をもって,ときの政府に諫言した。
イ これにより困窮した御家人たちの不満は増大した。
ウ 主として火器をともなった集団戦であった。
エ 主として火縄銃を用いた個人戦であった。
オ このあと中国産の生糸や朝鮮半島の木綿がもたらされた。

質問の主が悩んだのはウの文でした。
彼は「集団戦ではなく一騎打ちだから誤文」だと考えたらしいのです。
たしかに日本軍は一騎打ちでしたが、
この問題では日本側の説明に限定しているわけではないので、
誤文とはなりません。
元軍の火薬兵器を使った集団戦法を思いおこして、
正文と判別しましょう。
彼はまだ正誤問題のコツがつかめていないのだと思われます。
たくさん正誤問題を解く必要がありますね。

ついでに他の選択肢も解説します。

ア 日親『立正治国論』→日蓮『立正安国論』。
イ 文句なく正文ですね。
エ 「てつはう」は炸裂弾で、鉄砲ではありません。

そして、この問題で悩まされるのは「オ」でしょう。
これは解答が割れました。
要するに「このあと」という部分をどう解釈するかで答えが変わるのです。
(1)今まではもたらされていなかったが、
 「このあと……もたらされるようになった」なのか、
(2)今までのことはどうこう言わず、
 単に「このあと……もたらされた」のか。
(1)で解釈すると、これは誤文です。
なぜなら平安時代の日宋貿易で、
すでに生糸はもたらされているからです。
しかし、言外の意味など考えず、単純に(2)で解釈すると、
これは正文になります。
というわけで、僕はこれを正文として解答速報を出しましたが、
今だに正解はどっちなんだろう? と悩みます。
ちなみに代ゼミ・駿台・旺文社がこれを正文とし、
河合塾と赤本はこれを誤文として解答しています。

先輩のみなさんは、「すべて選べ問題」の際に使う、
例の作戦で解けばいいじゃないか、と言うかもしれませんね。
そうなんです。だからこそ悩まされるのです。
なんだかわからない内輪ネタになってしまいましたが、
その作戦はさすがにここには書けません。
現在受験生の人は、冬期講習の早慶大向け講座をお待ちください。

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2010年10月12日

早稲田の過去問から(2)

赤本や各予備校の解答が割れることがあるのは知ってますか?
もっとも解答はいっせいに発表されるわけではなく、
発表時期にはズレがありますから、
後になればなるほど、いろんな解答を見たうえで答えを出せますが。

今日はそんな解答が割れた問題を紹介します。
2009年早稲田大学法学部の問題です。

問 フビライによる3度目の遠征計画が本格化すると,幕府は鎮西探題を設置した。鎮西探題について述べた次の文章のうち,誤っているものを1つ選んで,該当記号をマークしなさい。
あ 西国防備と九州統治強化のため博多に設置された。
い 北条氏一族を任命した。
う 鎮西奉行を強化し鎮西探題とした。
え 九州の御家人の訴訟の第一審を担当した。
お 幕府とともに滅亡した。

<Mさん>
こんばんは。この間質問させていただいた藤沢のMです。早稲田法学部'09の問題で、鎮西探題は鎮西談義所の発展で、鎮西奉行と明確な関わりはないと書いてあったのですが、テキストを貼ったやつには鎮西奉行は鎮西探題の前身と書いてありました。どっちが正しいのでしょうか。(後略)

<石黒>
鎮西探題の正確な知識はかなりレベルが高い内容です。
正確には、鎮西探題を設置したのにともない、
鎮西奉行の権限は縮小されました。
このため「鎮西奉行を強化」して、
鎮西探題に改めたわけではないのです。
これは難問で、ブログでも解答速報のときに反論があったりしました。
ここにあります。この記事には続編もだいぶあります。(後略)



その後、河合塾と東進ハイスクールと赤本が、
当方と同じく「う」を正解と発表し、
代々木ゼミナールと駿台予備校と『入試問題正解』(旺文社)が、
「え」を正解と発表しました。

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2010年10月11日

早稲田の過去問から(1)

過去問を解く人が増えてきたようで、質問メールが届いています。
少しずつ紹介していきます。

今日は2009年早稲田大学文学部の問題についての質問です。
問題はこちらです。

下線(編注:琉球王国のグスク及び関連遺産群)に関し,明らかな誤りを含む記述はどれか。1つ選び,該当する記号をマークしなさい。
ア 按司の1人で中山王となった尚巴志は,1429年にそれまで分立していた3王国を統一して琉球王国を成立させた。
イ 尚氏は三山を統一した際,首里の王城を大改修し,琉球王国の政府として琉球王府を置いた。この首里城も本来はグスクであった。
ウ グスクとは,沖縄・奄美諸島に12世紀ごろから按司と称して台頭した首長達が,小高い丘に石垣などをめぐらして築いた城砦である。
エ 琉球王府は,琉球の古代説話を集め『おもろそうし』を編集したが,いま,歴史,民俗,言語の重要資料となっている。
オ 琉球王国は,1609年に薩摩の島津氏に服属し,のち琉球処分により1879年沖縄県として日本に帰属した。

<Tさん>
(前略)今日過去問解いててあれ?って思うものがあって、2009年度早稲田文学部の大問1の4で誤りを探す問題なんですけど「琉球王国は1609年に島津氏に服属し」にひっかかりました(´ω`)琉球が服属していたのは幕府ではないんですか?

<石黒>
返信が遅くなりすみません。
薩摩藩は琉球の土地にも検地・刀狩を行っているので、
「島津氏に服属」で正文です。
広く言えば日本に服属となります。
ちなみに正解の誤文は、
「琉球王府は,琉球の古代説話を集め『おもろそうし』を編集したが,
 いま,歴史,民俗,言語の重要資料となっている。」でしたが、
『おもろそうし』については、
1月の直前講座の沖縄史でやりますので待っていてください。



早稲田を受けるなら、沖縄・北海道史対策は必須です。
過去問を見ればわかるとおり、バンバン出題されています。
ワセヨビでは、上記の通り1月の直前講座で扱いますが、
河合塾では冬期講習の「総合日本史演習(発展)」で、
例によって超高速講義をおこないます。
地方のかたには『でる日講義−アラカルト−』で、
じっくり講義をお勧めします。

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2010年07月09日

政治学科なら政治分野の出題が多いはず?

イグザムという入試データソフトがあります。
全国の大学の入試問題をpdfファイルと、
Wordおよび一太郎ファイルで見ることができます。
2万円もするソフトなのですが、
入試問題を分析するにはうってつけのソフトなので、
毎年購入しています。
この問題を解いて、実際にどういう知識が必要だったかを、
自分で作ったデータベースに入力していくわけです。
ただし、このイグザムにも収載されていない入試問題があります。
最近は入試日程が増えているので、
さすがにすべてを拾いきれないのかもしれません。
そもそも、そこまで要求する人がいないかもしれませんね。
僕としてはイグザムに収載されていない問題だと、
データ入力がすべて手打ちの作業になるので、
ついつい後回しになってしまうのです。
主要大学の入試問題はできるだけ載せてほしいものです。

というわけで、先日ようやく、
2007年中央大法学部政治学科の問題を入力しました。
まさにこれこそ、イグザムに収載されていなかった問題です。
ここでその大問構成を紹介します。
 第1問 奈良時代から江戸時代の仏教
 第2問 化政文化
 第3問 条約改正
第3問にはちょっとだけ経済分野の小問が入っていましたが、
基本的に政治分野の問題は、小問を含めてまったくありません。
全体の3分の2が文化史分野からの出題です。
そして残りは外交史でした。
さらに第3問には、文化史の論述問題までついていました。
平民的欧化主義と近代的民族主義の
代表的な論者を一人ずつあげさせ、
二人の考えの内容を100字で論述させているのです。
これ「政治学科」の問題なんですよ?
でも、文化史分野の問題が70%くらい占めています。
どういう人が作問したのでしょうねえ?
10月くらいになってようやく赤本を開いた受験生だったら、
どうなるんでしょうねえ?
ちなみに赤本の解答は、1カ所間違っていました。

この話からはいろんな教訓が得られると思いませんか?
僕にとってはちょっと笑える話でした。

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2010年06月29日

大阪の立命館大志望の予備校生(1)

『でる日講義−つながる近現代−』を購入してくださった方から、
こんな質問メールをいただきました。

<Hさん>
返信ありがとうございます。僕は○○(編注:予備校名が入ります)大阪校の塾生で、立命館大学の志望です。今教えて頂いている講師には立命館はそんなに難しくないと言われ、基本用語と塾の演習編だけをしっかりおさえれば大丈夫と言われたのですが本当にそうなのでしょうか?立命館は日本史が難しいと聞いていたのですが、、、立命館の特徴や傾向を教えていただけたら幸いです。なので過去問は夏の間にすべきでしょうか?近畿大学が第二志望なんですが、その対策もまた別でしなくてはいけないのでしょうか?

<石黒>
立命館大の問題が難しいかどうかは、何とも言えません。
僕にとっては同志社大も近畿大も簡単ですが、
受験生にとっては難しいかもしれませんから。
単純にH君が解いてみて感じたものが、すべてではないでしょうか。
過去問を解いたことはありますよね?
「過去問は夏の間にすべきでしょうか?」という質問がありましたが、
ブログにも何度も書いているとおり、
過去問は6月から解くことをお勧めしています。
それからH君が受講している先生の発言には、ちょっと驚きました。
立命館で出題されている用語を、ほとんど「基本用語」として、
授業で扱っているということなのでしょうか……。
過去問を解いてみて、どうでしたか?
実際、授業でやったものばかりだったでしょうか?
だとしたら「基本用語」の水準が結構高めな先生ですね。
関西方面の予備校生からは、
「日本史講師があまり詳しく教えない」
という話ばかり聞いているので驚きました。
先日の「一幡なんて出ない」と言っていた首都圏の先生とは、
えらい違うようです。
もっとも「日本史では7割取れれば良い」
と考えている先生だったら別ですけどね。
というわけで、
過去問と照らし合わせたうえで、予備校での授業の水準や、
H君の習得状況、そしてH君の過去問正解率をお教えください。
立命館大の傾向云々は、そのうえでお伝えします。



受験生のみなさんは、なぜ早くから過去問を解かないのでしょうか?
解けば何もかもがわかると思うのですが……。
逆に言えば、実際に解かないかぎり、
いくら他人にアドバイスされたとしても、
何をどの程度勉強すればいいのかってわからないと思うんですよ。
まあ、嫌なことには目をつぶっていたいタイプの人には、
何を言っても通じないでしょうけれど、
物事を客観視できる人なら、十分わかるんじゃないでしょうか?
情報を持たないことのリスクは、恐ろしく大きなものですよ。

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石黒拡親
石黒拡親

愛知県出身。1990年、東京学芸大学教育学部卒業。早稲田予備校・河合塾講師。
入試問題分析を20年続けてデータ化し、2万の用語の出題率を取っている。
「ウソはったりのない、入試に直結する講義」を強くこころざし、受験生には「考える力をもってもらいたい」と強く願う。

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